かすお

その謙遜、俺に効くな〜。

2021/12/12

友達が欲しくないけど、作らないといけない。
母さんが心配された。このままずっと友達が居なければ母さんが心配する。だから友達を作るのか。それはその友達があまりに浮かばれないのではないか。でも母さんを安心させたい。

何故人は友達を作るのか。あのふと訪れる、話すことも無くなり流れる気まずい沈黙。あれがどうしても怖くて怖くて、人が怖い。あれを避けるために無我夢中で1人喋れば、気づけば相手がキョトンとした目でこちらを見ている。これはもう会話ではない、演説だ。

この感情は多分みんなにある。それを踏まえた上で人は尚、友達を作ろうとする。群れから追い出される恐怖というものが本能に刻まれているから。そんな寂しい理由で友達を作っているのか。もしそうなら、孤独もひとつの理性の形だろう。

友達と心から「わかる〜っ!」
と共感し、笑い合う。その幸せは流石に俺でも知っている。その瞬間の為には気まずい沈黙をも厭わない、そういうことなのか?

もしそうなら、俺は沈黙への恐怖が共感の幸せに勝るので友達を作らない。はい。

精一杯当たり障りの無い言葉を使っているつもりなのに、どこか違和感を感じさせてしまうらしい。

しかもプライドも高すぎる俺は
「ちょっも足りない子」として不本意な弄りの対象に甘んじることに耐えられようもない。
どうもこれでは動物園の動物に等しい。そもそも俺はそんなにカワいくない。

会話のタネを探しつつ、相手を傷つけない言葉を選び、共感するフリをして、顔を綻ばせる。
ちょっとこれは難しくないですか。

あー分かってるんです。こんな卑屈な性格が全ていけないのです。気まずい空気なぞ、見ようとしなければ見えないもの、それをわざわざ目を凝らして勝手に辛くなるのもアホらしい、ってのもわかっているのです。しにたい。

号泣。

中学、高校はぼっちになるのが怖い。ただそれだけが友達を作るモチベーションだった。昼飯の時間も気まずい沈黙を恐れるあまり、ぺらぺらとつまらぬ話題を探し、出し尽くしたらしまいには天気の話まで持ち出してくる始末。

高校生が友達と天気の話!
信じられますか。

それでも自分はとうの昔に見え透いている薄っぺらさを、ひたすら隠そうとする。
キョロ充。
焦点も合わず、所在なさげな両手、足はまごつき、ユーモアの欠けらも無いのに無理してボケる。みんなが苦笑する。地獄。そして勝手に病む。死にたい。しね。

このスタンスを生涯続けていくのか。
いよいよ絶望。

趣味の話に関しては、どうも自分のその趣味への愛が強すぎるのか、相手が冷めているように感じてしまい、まあとにかくなんか続かない。

最低限の倫理観を持っているなら、引きこもる以外に選択肢はない。俺には人を不快にさせることしかできない。

でも寂しい!

しにてーーーー