嫌われる理由を自分なりに
ちなみになんで自分が好かれないか、その理由はなんとなく自覚もある。
とことん俺は薄っぺらいのだ。
どうしても嫌われたくなくて、当たり障りの無い言葉を必死に選りすぐって、顔色をぎょろぎょろと伺う。
そして、寂しい奴って思われたくなくて、「なんか暗い奴」を見つけてはベラベラと話しかけて無理矢理友達になる。
というよりはもはや「ぼっちと思われないためのアクセサリー」という認識だった。
そいつに何の興味も持たず、自分が周りにどう思われて居るか、それだけに全神経を注いでいた。
やはり人間は「自分に興味を持ってくれる人」と一緒に居たくなるもので、次第にそいつも自分から離れていく。
そして焦った俺は自傷的に道化を演じ、ウケを狙ってわざと恥ずかしいことをしてみたりした。
かと思えばカオナシ宜しく、宿題だったり恩を売ることで人望を得ようとしてみたり。
距離感というものを全く理解できていない。
高校一年生はこれを繰り返していたら気づきゃ終わっていた。
人間関係の貯金は0で
「よくわからないけど、なんか必死な奴」がおそらく皆さんの共通見解かと思われる。
それでも俺は自分の哀れさを認めたくなくて、腹の底ではただ「こんなに一生懸命なのに、なんで報われないんだろう」って思ってた。
そうして迎えた二年生の春になっても懲りず、道化的に日々生きていた。
そこへ唐突にコロナ休みというものが訪れる。既に学校生活に限界を感じていた俺にはオアシスのように感じられた。
しかし、1ヶ月ほどにも渡るコロナ休みが明け、また学校生活が始まった。
休み前と同じ体制で生きてくしか無いなーと思ってたけど、いざ自分の今までの生活を思い起こすと、そこで初めてもしかして自分はめちゃくちゃ小物でズルい奴なのではないかって気づいてしまった。
頑張ってるのに中々報われないのは運が悪いのではなく、確固たる原因が自分にあるのではないか、という疑念が初めて生まれたのもこの時だった気がする。
しかしそれで謙虚に「自分はカスです。話しかけてくれてありがとう」ってなる訳もなく、自尊心の塊の俺は「自分をこんな性格にしたこの環境が悪い」という考えに至った。
この後間もなく学校を飛ぶ。ちなみにこの性格は至ってナチュラルなものであり、中学もこれくらい薄っぺらい人間だったな。
高校デビューしようとやっきになってたもんで、そこで人格も変わったとばかり思い込んでいた。
結論として自分が嫌われるのは、他人には興味は持たず自分の飾りとしか思っておらず、如何なる時も最終目的は自分が愛されることだったから。
そして尖った趣味も特徴も無く面白みに欠けすぎる人間で、その癖プライドは高く、外面では必死にペコペコするも内心では皆を見下してるのがありありと露呈していただろうから。
そして報われない現状を環境や運のせいにして、反省の時間を持つことが無かったから。
高校飛んだのも別に不幸でも何でも無くて、どのみちいつか、大学だろうが会社だろうが、いつかそうなる運命だった気がする。